アマガエル

家へ帰るとドアの取っ手にアマガエルが、オカエリ!と待っていた。


アマガエル-1


アマガエル-2


アマガエル-3

地震が落ち着いてきたので、野草を訪ねました

由布岳とサクラソウ-1

由布岳すそ野のサクラソウ。


庭の枝垂れ桜が満開、さあ忙しくなるぞ、と思った矢先の大地震。
あれ程いた観光客は何処へ消えたのか、由布院の街は驚く程の静けさ。

不謹慎だが「あゝこれが本来の由布院だな。」と妙に落ち着いた雰囲気。

山猫軒はさらなる静けさ。更に静かなる山へ入る。

サクラソウ、ヒトリンズカ、タユタレソウ、フデリンドウ・・・
丘を越えて来る風に揺れている。

ケーン、ケーンと静けさを破るキジの声。
空には絵に描いたような飛行機雲。

残照に長くのびた自身の影。

由布岳登山、地震の影響

18日、月曜日に山岳パトロール員の友人から電話が入りました。由布岳へ登ってきたが、地震の影響で非常に危険だとの事です。

西峰は頂稜の「馬の背」の右側の崖が火口側へ一部崩壊、東峰は最大20センチ程の地割れが複数本あり山頂部も一部崩壊との事です。

由布岳登山は暫く中止した方がよさそうです。

由布岳大崩谷ルート図

友達のブログで由布岳大崩のコメントがあり、今回の地震で崩壊したが、ルート図を作ってみました。
 ごく、ごく、一部の『やまや』にしか分からない、意味の無い物ですが、店主には懐かしい足跡です。


大崩ルート図-2

(1) 本谷中程の涸滝の上から右の草付きの50m弱の壁。
  昭和45年1月、浦島太郎と登った、超貧乏でアイゼン無し、2人でピッケル1本(借り物のシャルレ・コンタミヌだったか?)、靴はペラペラのキャラバンシューズに毛がはえた様な物で人様に余り話せない相当にヤバイ山行。

(2) 本谷の一般ルート
  難所は中央の涸滝と出口。

(3) 大崩出口すり鉢状中央の岩稜を真っすぐ登るスッキリルート。昭和53年1月アルプスのトレーニングで単独で登攀。
 
(4) 第二カンテ 昭和44年8月別大付属高校山岳部の岡〇さん、寺さん、カンちゃんで試登。1m程の岩の落石に直撃され中止。

(5) 第二カンテ 昭和44年8月(4)と同じメンバー、岡〇さん、寺さん、カンちゃんが初登攀。
 昭和46年2月 江っさん、岡ちゃん、岡〇さん、鷲の安○さんで冬季の登攀を試みる。安○さんがカンテの出口を越えられず撤退。カンテの出口にカラビナを残置。
翌週カラビナを回収する為に(当時、登攀用具は超高級品)江っさん、岡ちゃん、岡〇さん、オマケで浦島太郎と店主、冬季初登攀(笑)。

これ等のルートは基本的に冬期積雪で谷がコンクリートされた時のみ登攀対象。
(2)以外はダブルアックス以前です。

九州では阿蘇の北尾根につぐアルパインクライミングを感じさせてくれる谷でした(積雪時のみ)。

 1988年12月24日に大雪が降り大崩は50cm~100cmの積雪。
 九州では初の本格的な雪崩がおこり登攀中の10人の仲間が500m程流される遭難事件。店主は雪崩発生前に登りきっており、雪崩をまぬがれた経験があります。

営業再開のお知らせ

フクジュソウ-1

福寿草
4月7日 塚原高原、ウシカタヒラ裾にて撮影。



今回の地震では多くのお客様にご心配やお見舞いの連絡をいただき、ありがとうございました。
皆様方のお声が一番の励ましになり、元気が出ます。

地震の片付けも進み、今週末23日より営業を再開いたします。
湯布院への交通機関もかなり回復し、山猫軒への道路は由布院、別府、宇佐中津、各方面からの支障がありません。

しかしながら、熊本を中心にした被災地はまだ回復の目処が立たないばかりか地震収束さえいつの事が予測出来ない状態です。

多くの方がお亡くなりになり、千人以上の負傷者がでています。心からお見舞いとお悔やみを申し上げます。

湯布院町内のスーパーマーケットは全て営業を再開しました。飲食店や宿泊施設も少しずつ再開し初めているようです。
湯布院方面へお出での際は、山猫軒へもぜひお立ち寄り下さい。ネコ君達も楽しみにお待ちしています。

店主敬白

地震、由布岳の山崩れ-2

山崩れの規模を見るのに昔の写真と比較してみた。
冬の写真で撮影場所が違う為に分かりにくいので赤い線で囲んだ。

冬のこの岩壁は若いころに登った思い出の岩壁です。
実にあっけなく消えてしまったものである。



大崩二枚綴り

地震のため休みます。

由布岳の山桜-1

由布岳の山桜


 深夜一時二十五分、熊本を震度6強の大地震が襲いました。ここ山猫軒のある湯布院町でも6弱の揺れ、熟睡から飛び起こされました。
 今迄に経験のない激しい揺れにベットに四つん這いになって踏ん張りました。

 幸い山猫軒は大きな被害はなく、あれ程激しく揺れたにも関わらず大切なカップやグラス、食器類も奇跡的に全て無事でした。

 実質的な被害は薪ストーブ後ろの防火用のレンガ壁が倒れたのと、庭の三つの石灯籠が倒れて壊れたくらいです。

 その後も余震が続いて不安な夜を過ごしました。今日も一日中震度3から5の地震が続き落ち着きません。ネコ達も不安そうですが、みな無事です。

 地震はまだ収束していませんので安心は出来ません。地震が小康状態になるまで数日の間は店を休ませていただきます。取り急ぎの報告ですが、また経過報告いたします。

地震、由布山の山崩れ

由布岳北西の谷、『大崩(おおがれ)』深夜の地震から崩壊が激しくなり、下の写真は朝7月11分、震度5弱の地震の時、目撃したものです。


大崩-1


大崩-2


大崩-3


大崩-4


大崩-5

枝垂れ桜、五分咲き

昨日からの暖かさで山荘の枝垂れ桜が一気に開き、はや五分咲き。
来週の日曜までは楽しめそうです。



28.4.9枝垂れ桜-1


28.4.9枝垂れ桜-2


28.4.9枝垂れ桜-3


28.4.9枝垂れ桜-4

サクラソウ

28.4.8サクラソウ-4


 平野部では桜はほぼ満開ですが、由布岳の裾野、山猫軒の枝垂桜はやっと二部咲きです。春先から、花つきはどうか、開花はいつか、と気をもんでいます。
 日本人にとって桜は特別なものだと春が来る度に思います。

 そして店主には春になるともう一つ待ち遠しい花があります。やはり「サクラ」の名を冠したサクラソウです。正確に言うと「ニホンサクラソウ」、日本に昔から自生する春の野草です。
 背丈は15センチ程、可憐ながらも鮮やかな紅色の五弁の花びらを咲かせます。


28.4.8サクラソウ-1


 自生のサクラソウを初めて見たのは、この塚原高原へ山荘を開いた時ですから、もう三十年以上前の事です。
 塚原高原は湯布院町の山間部、由布岳の裾野に広がる草原で標高は600メートルから800メートルあります。
 冬は毎夜氷点下、時にはマイナス10度まで下がる事もあり、日中でも4〜5度と九州とは思えない寒さの厳しい所です。

 そんな塚原高原へ越してきたのは昭和57年の2月、真冬の寒いさなかでした。この塚原で初めての春を迎えた時は、本当に太陽の恵みを感じたものです。
 そして春の日差しの中、山荘の庭に咲くサクラソウを見つけたのです。店主は、嬉しくなってサクラソウが大好きになりました。

 それからというもの春になると、由布岳の麓や草原の奥深くサクラソウを探して散策するようになりました。
 10坪程の窪地一面に咲くサクラソウや、ヒトリシズカ、一寸アヤメなどと競演して咲く谷合の自生地などを見つけて、一時期は山野草に夢中になり野山を歩き回りました。
 続きは又後日。



28.4.8サクラソウ-3


28.4.8サクラソウ-5